学園の創立者佐久問惣治郎は、明治10(1877)年千葉県匝瑳郡須賀村高(現八日市場市)の農家佐久間徳太郎の長男として生まれました。
明治10年といえば、明治維新最後の士族の反乱といわれる、西郷隆盛による西南戦争が起こった年であり、わが国最初の総合大学東京大学か常置され、銀座レンガ街が完成した年でもあります。
惣治郎は、幼少の頃から学問好きで、進取の気性に富んでいました。小学校のころから中学校への進学を望み、父に願いましたが許されませんでした。しかし、向学の志は衰えず、昼は農業に従事し、夜は勉学に励みました。
村の小学校長林宮次郎氏などから漢籍の講釈を聞いたり、書物を借りて読みふけりました。また維新慷慨家列伝等を読んで、感憤したといわれます。教育者たらんとする志は、こうした間に育まれたといえます。